[ 神宮律子のエッセイ ]
最近は脳年齢が話題になっていますが、人間は使わないものは退化していくものだと、つくづく感じることがあります。退化していくものの一つに「言葉を発する」という事があり、最近は無言で接する人が、とても多いと感じます。
言葉が出なくなった原因はいくつかあるとは思いますが、一つは自動化が進んでいる事とメールが普及した事でではないかと思います。聞くところによりますと、独り暮らしをしている人の中には、1日中誰とも言葉を交わさない日もあるそうです。
二つめは、人と接する際に挨拶する習慣が少なくなり、言葉を発することがなくなったからではないかと考えます。
三つめは、何か言葉を出したいと思っていても上手く表現できないか、もしくは何と言って良いのかわからない人が増えてきたように感じます。
先日、接遇マナー研修で、受講者からこんな質問がありました。「自分は職場の社員に機器を貸し出す仕事を担当しているが、返却に来た社員に対して何と言ったら良いのか?」という内容でした。同じ社員なので、「ありがとうございます」は変な気持ちなので適当な言葉が見つからないという事でしたが、機器を返却する社員も殆ど無言だそうです。
相手が言葉を出したら自分も出すというのでは、結局どちらも無言になってしまいます。「お疲れ様でした」でも「ありがとうございます」など、何でも良いので、何か一言伝えましょうと答えましたが、理屈ではなく、自然に言葉が出る職場であって欲しいものです。
お客様と接する仕事の中でも無言の風景を良くみかけます。
ある公的機関では、職員が来客に対して書類の受け渡しをする際、ほとんど無言でした。静かな職場でしたが、「おはようございます」「お疲れ様でした」もなく殺伐とした風景でした。人が存在する意味があるのかと感じましたし、何の言葉も発せられないようでしたら、機械のほうがまだましではないかと思えました。
また、先日新幹線のみどりの窓口で、「携帯用の時刻表はどこにあるのか」と案内の女性係員に尋ねたところ、無言で歩き出し、カウンターの時刻表を取り出し、無言で手渡されました。これが、案内という仕事をしている人の応対かと嘆かわしくなりました。
恐らくお客様の中にも、「ありがとう」の一言もない人が多いのではないかと察しますが、接客する人が元気良く声を出せば、お客様も思わず「ありがとう」と言葉が出るのではないでしょうか。
接遇マナー研修では、体を動かすお辞儀や、物の手渡しなどの「立居振る舞い」については習得が比較的早いのですが、敬語や電話応対など、言葉を使うカリキュラムは時間がかかります。言葉遣いそのもの以前に、なかなか言葉が出ないことが多く、「はい」という返事については、相当の勇気がいるようです。
幸いにも、私は話す職業を選びましたので、世の中から言葉が退化することなく、むしろ進歩するように、話す事の楽しさと、言葉の持つパワーを、これからも伝えていきたいと思っています。




